樹木創造の神様

「日本書紀」に「一書ニ曰ク」には、須佐之男命自信は樹木創造の神様であったと言われている。「須佐之男命」が、おしゃられるには、韓郷の島には黄金とか白金とかがある。これに反して我子孫が支配する國には(浮き宝)がなくてはなるまい、とおしゃって、髭からは杉の木を、胸毛からは檜を、尻の毛からは槇の木を、眉毛からは樟をお作りになり、それぞれの木の用途までお定めになった。すなわち杉と樟の二種類の木は造船に、檜は瑞宮(宮殿、神殿)に、槇は一般に人民の寝床に用いるようにしたらよいであろう。それから世の人たちがその果実や葉を喰うことが出来るたくさんの種類の樹木をもすべてお植えくださった。

この原始の記憶から、須佐之男命とその子供の五十猛命(いたけるのみこと)が日本では樹木神にされたと次のような記述がある。「はじめ五十猛命が高天原から降りた時には、たくさんの樹木の種子を持って下りてきたのです。しかしこの樹木の種子を韓郷には植えないで、すべて持ち帰り、筑紫から始めて、すべての大八島國の内に
播種し、増殖したので、国中、青山でないところがありません。このために五十猛命を称えて、有攻(いさを)の神となしております。すなわち紀伊国に坐る大神がこれであります」と。
ここで面白いのは須佐之男命が、外国の宝物と日本の宝物を対比させていることである。韓郷の宝は金銀であるが、日本の宝は樹木であるというのだ。

古事記と日本人   渡部昇一著より

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